Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
僕はショウ。EPR97809。それが僕の死後の世界のIDみたいなものらしい。とある出来事で死んで、気づいたらこの『療養所』という場所にいた。天国とか地獄とか、そんなファンタジーな場所じゃなくて、ほとんど現世と変わらない、ちょっとだけモノクロームな世界だ。
朝の光が薄ぼんやりと差し込む個室で、看護師の女性が挨拶する。成香という名前だった。優しい笑顔が少しだけ救いになる。
僕は曖昧な返事をする。もう8年もこの部屋に引き籠もっている。体調不良を理由に、ずっとベッドの中で時間を潰しているんだ。
「今日は少しだけ体調が良いみたいですね。少しだけ、お庭に出てみませんか?」
僕はそっけなく答える。外に出たところで、何も変わらない。現世での苦しみも、死後の世界の苦しみも、何もかも背負ったままだ。
現世では、仕事も人間関係も上手くいかなかった。疲弊しきって、何もかも投げ出したかった。だから、死んだ。楽になると思って。でも、それは間違いだった。死んだら楽になる、なんて幻想だったんだ。
(死にたくても死ねない。それが、死後の世界の残酷さだ。)
どれくらいの時間が経っただろうか。ドアをノックする音が聞こえた。成香が、お弁当を持ってきたようだ。
「ショウさん、ご飯ですよ。何か、欲しいものがあれば言ってくださいね」
僕は小さく「ありがとう」と呟く。弁当を開けると、質素ながらも温かい食事が並んでいる。一口食べると、じんわりと味が染み渡る。
毎日同じような日々が過ぎていく。食事、睡眠、そして虚無感。それの繰り返しだ。まるで時間が止まっているかのように感じられる。
そんなある日、成香が深刻な顔で僕に話しかけてきた。
「最近、あなたの状態が少しずつ良くなっているように感じます。もちろん、気のせいかもしれませんが…もし、少しでも良くなりたいという気持ちがあるなら、過去と向き合ってみませんか?」
僕は眉をひそめる。過去を受容するなんて、考えたくもない。
「そうです。あなたの死因…。あなたは、どうして死んでしまったのか。それを思い出してみませんか?」
僕は黙り込んだ。死因…それは、僕が一番触れたくない記憶だった。
「無理ではありません。少しずつでいいんです。私が、あなたのそばにいます」
成香の言葉は、まるで一筋の光のように、僕の心を照らした。今まで頑なに閉ざしていた心の扉が、ほんの少しだけ開いた気がした。
その日から、僕は少しずつ、過去を振り返るようになった。最初はほんの断片的な記憶だったが、成香と話すうちに、徐々に繋がり始めた。
僕は現世で、妻と息子を持つ、ごく普通の父親だった。しかし、仕事でのストレス、人間関係の軋轢、そして経済的な問題が重なり、僕は精神的に追い詰められていった。
それらは雪崩のように押し寄せ、僕の心を押しつぶしていった。
僕は泣き崩れた。自分の愚かさ、身勝手さに、心臓が締め付けられるような痛みが走った。
(そうだ。僕は、息子を残して…焼身自殺したんだ…)
成香は何も言わず、ただ僕を抱きしめてくれた。その温もりは、冷え切った僕の心に、少しずつ染み渡っていった。
それから、僕は成香の助けを借りながら、少しずつ回復していった。毎日、少しずつ庭に出て、太陽の光を浴びるようになった。他の患者とも、少しずつ話すようになった。
過去を完全に忘れることはできない。しかし、過去を背負いながらも、前を向いて生きていくことはできる。僕はそう信じるようになった。
「ありがとう。君がいなかったら、僕は今でも、あの暗い部屋に閉じ籠もっていたと思う」
「私はただ、お手伝いをしただけです。ショウさんが、自分の力で立ち上がったんです」
僕は深く息を吸い込んだ。目の前には、美しい花が咲き誇っている。死後の世界にも、こんなにも美しいものがあるんだ。
そんな穏やかな日々が続いていたある日、成香から「緊急の連絡」という形で、深刻な面持ちで伝えられた。
「ショウさん、大変なんです。あなたの息子さんが…」
「息子さんが…あなたの後を追おうとしているんです」
僕は衝撃を受けた。そんなこと、絶対にさせたくない。
「何とかして止めてくれ!息子に伝えてくれ!死ぬなと!」
成香は頷き、どこかへと連絡を取ろうとした。しかし、現世への干渉は容易ではない。祈るような気持ちで、僕は息子の名を呼んだ。
(息子…!頼むから、死なないでくれ!僕は君に生きて欲しいんだ!)
その時、不思議な感覚に襲われた。意識が遠のき、まるで魂が抜け出すかのように感じた。
息子は、今にも崖から飛び降りようとしていた。絶望に満ちた目で、虚空を見つめている。
息子が、ついに崖から身を投げようとした瞬間、僕は全身全霊で叫んだ。
「死ぬな!生きてくれ!僕は君に、生きて欲しいんだ!」
その時、息子の動きが止まった。ハッとしたように、こちらを振り返った。
息子は、何かを感じ取ったのだろう。涙を流しながら、崖から身を引いた。
僕は、安堵のため息をついた。息子は、生きることを選んだのだ。
意識が戻ると、僕は療養所の自室のベッドに倒れ込んでいた。成香が、心配そうな顔で僕を見下ろしている。
その夜、僕は夢を見た。息子が、力強く生きていく姿を見た。笑顔を取り戻し、幸せな家庭を築いている姿を見た。
僕は、心から嬉しかった。息子が、生きていてくれて、本当に良かった。
そして僕は、自分の犯した罪を償うために、この死後の世界で、精一杯生きていくことを誓った。いつか、息子と再会できる日を信じて。
療養所での生活は、相変わらず穏やかに過ぎていく。しかし、僕の心は、以前とは全く違っていた。過去を受け入れ、未来に向かって歩き出す勇気を持った。
僕は、死んでしまったけれど、まだ終わりではない。僕は、生きていた証を、この世界に残していく。そして、いつか息子に会える日まで、僕は強く生きていく。
受容という過程を経て、僕は新しい自分に出会えたんだ。